トレードオフ

気づいたら、若者じゃなくなってた。
若い時は、何者にもなれる未来があって、可能性は無限で、時間とトレードオフしながら道を決めてきた。当時はそんな感覚まるでなかったけど。
今は、良くも悪くも自分が敷いてきたレールの先に未来がある。そして、重要な分岐を選ぶとき、今まで選びとってきたものを捨てる、というトレードオフを強いられることがある。

人生におけるとても大きな選択について、何年も吟味して頭では答えが出ているのに、ずっともやもやしていることがあって。なぜ心が落ち着かないのか考え続けていた。
最近なんとなくわかったのは、選択肢そのものに悩んでいるのではないということ。
自分が生きたいように生きることと引き換えに、マジョリティではなくマイノリティとなる、というトレードオフがおこる。これが、なぜかとてつもなく、こわい。

あくまでマジョリティ的価値観でいえば、これまでの私の人生はすこぶる順調だ。しかし、これから少数派の選択をするとしたら。
もう中年に差し掛かって、そろそろ人生の形が見えている。この先も人と同じようにしていたら、きっとある程度幸福なはず。そういう心の底にある漫然とした安心感とは、一旦決別しないといけない。

ひとたび道を間違えれば茨の道が待っている。マイノリティに優しくない。日本ってそういう社会だからね、と言ったらみもふたもないが。
それを子供の頃から何となく感じ取ってきたからこそ、ここまでこうやってマジョリティの範囲の中で生きてきた。
ずっと、ステレオタイプに抵抗しながら、それでもいつでも普通っぽい人生の方向に軌道修正できるよう、道を残しながらここまで来た。その最後の分岐を自ら捨てる。

そりゃこわいよね。
こわがってるんだ、ということがわかっただけでも、気持ちが落ち着く。



メインストリームから外れているものは、異質な存在として、存在を無視されたり、腫れ物になったり、攻撃対象になったりすることがある。
だから、それを恐れて隠そうとしたり、メインストリームへ合流しようとあらがったり、ただただ受け身も取れず傷つけられたり、する。

本当は、そっか、あなたはそうやって生きていくんだねって、みんながゆるやかに受容できる世の中になればいい。
とはいえ、人には異質なものを恐れ排除したいという心の働きがあるということも理解はできる。人としても生物としても、そうやって守り繋いできたものがあるのだから仕方ない。
ようは、そのことに蓋をせず自覚的でいられるかどうか。良心が必要なのか。理性があればいいのか。とにかく、努力が必要だ。

なんて私個人が思っていたって、どうせ世の中の人みんなにそれを期待できるわけではない。
やっぱり、傷つく覚悟もせねばならないのだろうな。