かなしさ

産業カウンセラーの講座に通っている。

後期に入り、残りの面接実習もあと6回程度。先日、いわゆる逐語記録、面接内容のテープ起こしを終えた。心身共にくたくたになった。


そして、逐語記録の提出日、指導者との面談があった。
私の前に面談したメンバーが泣きながら出てきてギョッとした。たった10分の間に何を言われるんだ…!?
そもそも緊張しやすい私は、手に汗握って面接室に入った。

まずは指導者から、聴く態度はしっかりできていると褒めていただいた。自分の思いを聞かれたので、クライエントの感情についていけないことを話した。

続いて、指導者から見た私について話してもらった。
かなしさ、つらさ、そうした感情を否定的に思っていないか。よろこび、たのしさと、かなしさ、つらさは本来等価なものだが、かなしい、つらいと感じてはいけないのだろうか?と。
それに対して答えようとして、ついうっかり、かなしさやつらさを「否定的感情」と言い換えている自分に気づき、固まってしまう。
かなしい、つらいと言ってる人に、どう慰めの言葉をかけていいか、昔から苦手だ、と打ち明けた。すると、慰めないとだめなんだね?と返ってきた。
うおおお、慰めなくてもいいのか!?!?混乱してまたフリーズし、涙目。


かなしさやつらさを否定している、そんなこと考えたこともなかった。
そういえば、面接実習で私がクライエント役だったとき、つらい話なのに笑いながら喋っていて違和感があると言われたことがあった。私のことを、いつも悪いことを話さない人だと評する人もいる。なんだか繋がる。

子供の頃から長子としていいお姉ちゃんでいなければならなかったから、弱音を吐いたり、嫌だと駄々をこねたり、泣いて訴えたりすることはできなかったなと思い出す。かなしくてつらくてどうしようもないときは、いつも部屋で一人で泣いていた。
仲間にそういう気持ちを打ち明けることもなかったな、そういえば。なぜなのか、まだ自分でもわからない。
救いなのは、夫の前では泣けることかもしれない。そういえば私、夫に育て直してもらっている気がすることがこれまでも多々あったけど、やっぱりそうなのかもしれない。


自己理解って難しい。
私は結構できてる方だと勝手に思っていた。でも、月の裏側のように、意識の表には絶対に現れず、見も知らぬ想像もできぬ自分が無意識の中にいるんだな。
知らない自分を知るってすごい体験だ、って語彙が限界で陳腐な表現しかできないけど。混乱と驚きで眩暈しそうな感覚がする。
指導者との面談はカウンセリングではないから、自分で気づく前に指摘されてフリーズしちゃったんだな。

インサイド・ヘッド、っていうアニメーション映画があったよね。とりあえず見てみようかなって、今ちょっと思ってる。
それ以上はまだ、考えられない。
ぼちぼちと着々と、自己理解について考えていくしかない。