クライエントとして

先日、産業カウンセラーの養成講座に行ってきた。
もう終盤なので、ついに面接時間が40分という長さになった。

その日、私はクライエント役だった。
時間が40分あると、喋ろうと思ってなかったことまで喋ってしまう。
職場の嫌なところを話していたのに、いつの間にか自分の嫌なところを見ざるを得なくなる。
しかも実習なので、散々いろいろ語った後に、観察者だったメンバーから私の気持ちはこうだったのではないかとバンバン返ってくる。
自分でもよくわかっていない自分の気持ちを言い当てられるとなぜだか泣きたくなってしまって、堪えながら振り返る。

聴いてもらうことで、ただの重い塊としか認識できてないことを自分で少しずつ分解していくことができる。
ぴたりとした言葉が返ってくると更に焦点が定まる。
表に浮き上がってきた感情をキャッチしてもらえると、蓋がどんどん開いて、ごちゃごちゃに閉じ込めてあった気持ちが外にあふれてくる。
カウンセリングってこういうことなのかな、と思う。
あふれた感情をまた、今度は整理して戻していかないといけない。それには相応にカウンセラーとの時間が必要なんだろう。

講座の後も、どうも感情の蓋が開きっぱなしになってるらしく、何だかずっとモヤモヤ、考え事が続いている。
実習は、蓋が開いたところを自分が確認しないうちにみんなに中をゴソゴソやられる感があるから、余計に落ち着かないのかも。



実は一回、カウンセリングに行ってみようかな。と思っている。
自分の心の整理と、その道の人の仕事ぶりを見たいという好奇心のどちらの目的もかなうから。
産業カウンセラー協会の各支部でカウンセリングをやっていて、カウンセリング体験にご活用くださいと案内があったから、ちょっと行ってみたいレベルの私でも敷居が低い。

カウンセリングって、ちょっと肩凝ってるんだよねってマッサージ行くぐらいの感覚で使えたら、それが1番いいと思う。こじれて何か症状が出る前にメンテナンスできたほうがいい。
特につらいという自覚がなくても、何かしらのわだかまりを歪めたり我慢したりして忘れたように日常を生きているだけ。この数ヶ月の講座でクライエント役をしてきて、本当にそう思う。
身近な心を許せる人に相談しようにも、自分と縁があって繋がっている人に素直に全てを見せられるものではないから。



1年前は、産業カウンセラーの講座を受けるかどうかとても悩んでいた。何せ、そこそこまとまったお金がかかるから。
でも今は受けて良かったと思う。
普通に生活してたら、しがらみから離れて自分のことを語ったり考えたりできる機会なんてほぼ無い。
貴重な経験と貴重な仲間を得られて、ほんと、しみじみ、良かったなあ。