紫蘭と母と

連休中日。
酷暑のせいで庭の植物がいろいろ消えてしまい、メインの庭がスカスカになったので、仕方なく新しい植物を迎えることにした。
元から植わわっているものの傷んだ葉を切ったり、弱った株を掘ってコガネムシの幼虫を退治したりした。
そして、小さすぎる私の庭には大きくなりすぎたシランの大株を掘り上げた。
ようは、邪魔だった。その場所にもっと私好みの他の草花を植えたかった。

シランは母にもらったもの。
かつて、家を新築した時にいろいろと植物を持ってきてくれた。
クリスマスローズは、ウイルス病で処分した。
アジサイは、植えた場所が悪い上に管理不行き届きで枯らしてしまった。
ほかにもいろいろもらったように思うけど、忘れてしまった。
そして、シラン。もらった植物で残っているのはもうこれが最後。

大きすぎて、ショベルをテコのように使って掘り上げた。もはや優しく扱えない大きさ。
何だか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
充実したいい株だったのに。
小さな白い芽をたくさん抱いていたのに。
せっかくもらったのに。

母のことを思った。
長く離れて生活して、なんだか他人のようだ。
用事がなければほぼ連絡もしない。
元々ふつうに良い関係だったし、同居してた学生時代まではよく一緒にお出かけもした。楽しかった。
今は、特に母と何かをしたいと思うことはない。
さすがにドライすぎるかと思って今年旅行に誘ったが、ものすごく疲れてもう当分いいやと思ってしまった。
親離れできているというべきなのか、冷たい娘というべきなのか。いい悪い別にして、そんな感じの自分自身にちょっとショックを受けた。

シランをどけて他の植物を植えた庭は、もうすっかり私が選んだ、私が好きなものばかり。
何だかとてもさみしいような気持ちになった。
親子だからって、ずっと母を慕わなくてもいいよね。母は母、私は私だ。

だけど結局どうしてもシランを捨てられなくて、株分けして、どう考えてもシラン向きではないけどとりあえず、という場所に植えた。
生き残るかどうかはわからないけど、とにかく居場所が作れてほっとした。
それで良かったのだと思う。