再会

ちょうど1年、ここから離れていた。
何だか、思いを書く、ということがしんどかった。

この1年、産業カウンセラー試験の後にそのまま公認心理師試験の勉強に入り、勉強のみならず受験申請やお金の工面にほとほと疲れた。
無事受かったけれども、じゃあこの先はどうしていくのだろう。正直なところ、自分でも何を求めているのかわからない。
強いて言えば赦しだったりするのだけど、一体誰から何を赦されたいのか。
資格を取れば何かから解放されると思っていたけれど、そういうわけではなかった。

学びたくて心理学を修めたのに、結局は人生のいろいろを天秤にかけて、就職後は心理学から離れてしまった。
人生のいろいろというのは、
カウンセリングや心理検査精神分析を職業にしたいわけではなかったこと、
臨床以外の心理学の分野に進むということは、学者にならない限り一般企業で働くという意味であること、
女が一生困らないで食っていくにはどうしたらいいのかということ、
そして当時すでに付き合っていた夫と、この先関係を続けていきたいということ。そして彼の就職活動の結果如何では転勤族になるかもしれないこと。
そんな条件下でまずまずOKの選択肢を選び取りながら20代半ばの激動をくぐって、そこそこ満足いく方向へ船出ができた。

その選択をした自分を肯定することもあれば、コンプレックスを抱くこともある。
今の仕事を志し、継続してきたことに自信を持ちつつも、どこか小さな違和感がある。
ここしばらく心理学の勉強を再開してみて古巣に戻ったような心地よさを感じ、やっぱりこんなにも好きだったんだと動揺する。
本当に本当に心理学を勉強したくて学んでいた若かった頃の自分が、きっとまだどこかに取り残されてしまっているんだろう。

私はいつも、一生懸命になる前に頭でシミュレートを繰り返してパフォーマンスのよい方法を選ぶ。
それは確かに失敗を少なくするけれど、求めるものに向かってがむしゃらに行動する素直さを封じ込めれば消化不良だっておこる。
20代の頃に計算し尽くした自分の基盤は盤石。だからこそ、今からは面白いと思うことに片っ端から頭を突っ込んでもいい。
この1年、久々に心理学に触れて、そんなことをつらつらと思っている。
公認心理師の経過措置は、取り残された私の一部分を探し出す光だったのかもしれない。

春が来る

さて。
長く書かないと書くのに勇気が要る。

仕事に疲弊して史上最悪のメンタルで年末年始を迎え、そして何とか産業カウンセラーの試験も終えて、気づけばあっという間に2月。
少しずつ気力が湧いてきた。

春が近づいてくるというのはやっぱり心に良いみたいだ。
球根植物の芽出しや開花には本当に助けられていて、私がひっそり泣いたり拗ねたりしている間にすいせんが咲き、最近はスノードロップに癒されなだめられ、今はクロッカスの花を恋しく待っている。
そのうちに沈丁花の香でもかいだら気も晴れていくのだろう。
庭仕事をしたり、山歩きしたり、無心になって自然を楽しめる日が来るのももうすぐだ。

産業カウンセラーの講座で一緒のグループになった人たちは、私も含めみなそれぞれバラバラに違う道を歩き始めている。それも、卒業間近みたいなきゅんとする感じがして春っぽい。
一緒の場にいた1年って、人生のほんの一瞬なんだなと思う。たった一瞬だけ、道が交差したのだと思うとなんだか愛おしい。
会ったり連絡取ったりする日がいつまで続くのかな。大人になって随分経って、出会いと別れを何回も繰り返してるとついそんなことを思ってしまう。なんだか切ないな。

人と遊ぶ約束も、少しずつできるようになってきた。長く会ってない友達にも、暖かくなったら一緒にあそこへ行かない?って。
偏屈だから人に会いたいと言うだけなのに変に理屈こねてしまいがちだけど、春を理由にするのは照れくさくなくていい。

早く、暖かくならないかな。

産業カウンセラー養成講座を終えて

産業カウンセラー養成講座が終わり、ひと月ほど経つ。

最後の講座は15分の面接の繰り返し。短い時間でも、最初に比べたら圧倒的にたくさんのことを聴けるようになっている。
この1年、技術的にはブラッシュアップされたと思う。もちろん全くの未熟なのだけど、一応の私の目的は達成された。今の仕事の中でなかなか面接技術を研鑽する機会がないからと飛び込んで、結果的に効果を実感できている。
でも人の知識欲の火というのはそう容易くは消えないもののようで、やっぱりもっと学びたい。全然、足らない。

それに、「産業」カウンセラーの講座なのもあって、終盤の小論の課題では自分自身の仕事のこともとても考えさせられた。
実習では、クライエント役の時いつも仕事の悩みを話していて、自分で思ってる以上に私は今の職場に怒っている、呆れている、ってことにも気づいてしまった。
このまま今の職場に居続けるのかな?この仕事を続けていくのかな?
今の仕事の否定ではなく、これから私はどうしていきたいんだろうと考え続けている。

講座が終わった後も、グループのメンバーとはやり取りが続いていて、今は1月の試験に向けて勉強会などしている。
本当に、何のしがらみもなく一緒に試験勉強ができるなんてありがたいこと。
中年ともなると学生時代からの昔馴染みの友達も境遇がバラバラ。私の境遇に友達がどう感じるかもいろいろ。配慮して接しているとよく知っている人たちなのに疲れてしまう。
産業カウンセラーのメンバーたちも境遇は色々なのだけど、あれだけ自分を受け止めてもらえる経験をしているからか、安心して一緒に過ごせる。
大人になってからでもこんな関係が作れた。これが一番、私が得たもので大きいように思っている。

今は試験に向けて座学を頑張る!まずはここから。
受からないと何も始まらない。

紫蘭と母と

連休中日。
酷暑のせいで庭の植物がいろいろ消えてしまい、メインの庭がスカスカになったので、仕方なく新しい植物を迎えることにした。
元から植わわっているものの傷んだ葉を切ったり、弱った株を掘ってコガネムシの幼虫を退治したりした。
そして、小さすぎる私の庭には大きくなりすぎたシランの大株を掘り上げた。
ようは、邪魔だった。その場所にもっと私好みの他の草花を植えたかった。

シランは母にもらったもの。
かつて、家を新築した時にいろいろと植物を持ってきてくれた。
クリスマスローズは、ウイルス病で処分した。
アジサイは、植えた場所が悪い上に管理不行き届きで枯らしてしまった。
ほかにもいろいろもらったように思うけど、忘れてしまった。
そして、シラン。もらった植物で残っているのはもうこれが最後。

大きすぎて、ショベルをテコのように使って掘り上げた。もはや優しく扱えない大きさ。
何だか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
充実したいい株だったのに。
小さな白い芽をたくさん抱いていたのに。
せっかくもらったのに。

母のことを思った。
長く離れて生活して、なんだか他人のようだ。
用事がなければほぼ連絡もしない。
元々ふつうに良い関係だったし、同居してた学生時代まではよく一緒にお出かけもした。楽しかった。
今は、特に母と何かをしたいと思うことはない。
さすがにドライすぎるかと思って今年旅行に誘ったが、ものすごく疲れてもう当分いいやと思ってしまった。
親離れできているというべきなのか、冷たい娘というべきなのか。いい悪い別にして、そんな感じの自分自身にちょっとショックを受けた。

シランをどけて他の植物を植えた庭は、もうすっかり私が選んだ、私が好きなものばかり。
何だかとてもさみしいような気持ちになった。
親子だからって、ずっと母を慕わなくてもいいよね。母は母、私は私だ。

だけど結局どうしてもシランを捨てられなくて、株分けして、どう考えてもシラン向きではないけどとりあえず、という場所に植えた。
生き残るかどうかはわからないけど、とにかく居場所が作れてほっとした。
それで良かったのだと思う。

覚悟

産業カウンセラーの実習も終盤。もう残すところあと1回となってしまった。
まだまだ通い続けたい気持ち。名残惜しい。



先日の実習では、40分の面談でカウンセラー役をした。
その中で、クライエントからとてもセンシティブな話題が出た。
私はとてもハラハラして、その話題をここで出してあなたは大丈夫?と思いながら聴いた。

いつも指導者からは、クライエントの話を引き受ける覚悟が必要だと教えてもらってきた。
その場で話そうとするクライエントの覚悟を、カウンセラーが受け止める覚悟。受容し、共感する覚悟。

私には覚悟が足りなくて。
後の振り返りで、そのセンシティブな話題の部分では一切応答ができていなかったと知る。
聴いている素振りを見せているにも関わらず、聴いていいのか不安になっている、全くもって自己不一致な状態。
不安なら、聴き続けていいかクライエントに確かめたらよい、と教えてもらう。話してよいかどうかは、クライエントが決めることだと。
そもそもセンシティブなことだと思って動揺したのは私だけ。クライエントはこの場に出していいという覚悟で話している。それを引き受けることができなかったのは、私だ。


身につまされる。
私はとても弱くて、受容できるキャパもそんなにない。人の敏感な話に触れるのはすごく怖い。いつだって逃げられそうな退路を保ったまま接するから、人に深く立ち入らない。
それを、冷静さや客観的ということばで評価してくれる人もいるけど、そうじゃない。ただ怖くて、頭で想定できる範囲でしか向き合えないだけ。

レーニングを続ければ、覚悟を持って臨めるようになるのだろうか。
こんな風に、間近に指導者を前にしながらトレーニングできる機会もそうそうなくなってしまう。
もう来週が最終日。大切に過ごさなければ。

ストレス症状

胃が痛い。胸焼けがする。お腹が痛い。緩い。
最近仕事がハード&理不尽なこと続きだから、ストレス性のものだと思う。

私は昔から、ストレスが度を超えると胃腸を壊す。精神的に参ったり不眠になったりする前に、胃腸が先にやられるらしい。
これまでに、急性胃炎逆流性食道炎過敏性腸症候群、という病名をありがたくもらっている。
1番酷かったのは結婚する前後の過敏性腸症候群。服薬を止めるのに年単位の時間がかかった。
本人は結婚が嬉しかったのだけど、ただでさえ大きな変化があるイベントの上に、いろいろ我慢や気遣いしたのがストレスだったみたい。

今のしんどさは、単純に、人が減って、仕事量が増えて、いろんなことに手が回らなくなって、帰る時間が遅くなって、ということなので、人が増えるまではもうどうしようもない。
しかしまあ、窮状について管理職に対応を求めても、返ってこない上に返り討ちに遭うなんて。この苛立ちや腹立たしさをどうしてやろうって感じだ。全く。
しかし、そういう組織であるということは変えようがない。
せっせとコーピング行動しなければね!!

クライエントとして

先日、産業カウンセラーの養成講座に行ってきた。
もう終盤なので、ついに面接時間が40分という長さになった。

その日、私はクライエント役だった。
時間が40分あると、喋ろうと思ってなかったことまで喋ってしまう。
職場の嫌なところを話していたのに、いつの間にか自分の嫌なところを見ざるを得なくなる。
しかも実習なので、散々いろいろ語った後に、観察者だったメンバーから私の気持ちはこうだったのではないかとバンバン返ってくる。
自分でもよくわかっていない自分の気持ちを言い当てられるとなぜだか泣きたくなってしまって、堪えながら振り返る。

聴いてもらうことで、ただの重い塊としか認識できてないことを自分で少しずつ分解していくことができる。
ぴたりとした言葉が返ってくると更に焦点が定まる。
表に浮き上がってきた感情をキャッチしてもらえると、蓋がどんどん開いて、ごちゃごちゃに閉じ込めてあった気持ちが外にあふれてくる。
カウンセリングってこういうことなのかな、と思う。
あふれた感情をまた、今度は整理して戻していかないといけない。それには相応にカウンセラーとの時間が必要なんだろう。

講座の後も、どうも感情の蓋が開きっぱなしになってるらしく、何だかずっとモヤモヤ、考え事が続いている。
実習は、蓋が開いたところを自分が確認しないうちにみんなに中をゴソゴソやられる感があるから、余計に落ち着かないのかも。



実は一回、カウンセリングに行ってみようかな。と思っている。
自分の心の整理と、その道の人の仕事ぶりを見たいという好奇心のどちらの目的もかなうから。
産業カウンセラー協会の各支部でカウンセリングをやっていて、カウンセリング体験にご活用くださいと案内があったから、ちょっと行ってみたいレベルの私でも敷居が低い。

カウンセリングって、ちょっと肩凝ってるんだよねってマッサージ行くぐらいの感覚で使えたら、それが1番いいと思う。こじれて何か症状が出る前にメンテナンスできたほうがいい。
特につらいという自覚がなくても、何かしらのわだかまりを歪めたり我慢したりして忘れたように日常を生きているだけ。この数ヶ月の講座でクライエント役をしてきて、本当にそう思う。
身近な心を許せる人に相談しようにも、自分と縁があって繋がっている人に素直に全てを見せられるものではないから。



1年前は、産業カウンセラーの講座を受けるかどうかとても悩んでいた。何せ、そこそこまとまったお金がかかるから。
でも今は受けて良かったと思う。
普通に生活してたら、しがらみから離れて自分のことを語ったり考えたりできる機会なんてほぼ無い。
貴重な経験と貴重な仲間を得られて、ほんと、しみじみ、良かったなあ。